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曹操

先日、三国時代の魏を建国した曹操孟徳(そうそう・もうとく)のものとされていた遺骨がDNA鑑定された。曹操の子孫とされる男性300人近くから遺伝子のサンプルを集めるなどして検査した結果、ほぼ本物という結果が出された。ちなみに、従兄弟の夏侯惇、夏侯淵の夏侯一族とは、血縁ではない可能性が高いらしい。

【英語名】
Cao Cao「曹操」
Xuahou Dun「夏侯惇」
Xuahou Yuan「夏侯淵」

三国志では、最大の悪役として描かれてきた曹操だが、政治家や軍人としてだけでなく、詩を残したり、孫子の兵法を編纂したりと多才で、歴史に影響を与えている。

有名なところでは、有能な人材が大好きで、たとえ敵対した者であっても、才能があれば部下に迎えた話は有名。(関羽や賈クなど)それから、赤壁の敗戦後に「郭嘉が生きていればなあ」と嘆くエピソードもいい。

ちなみに、郭嘉(Guo Jia)は、38歳で亡くなってしまった曹操の参謀で、呉の周瑜や蜀の諸葛亮に匹敵する軍師と言われた。若き日の曹操と同じく、素行は良くないが、大らかで型にとらわれない発想力があったとされる。

詩では、”酒を飲むときは歌おう”の「短歌行」や厳寒の北方行軍を記した「苦寒行」などは有名だろう。
同じく詩人として名を残す息子の曹丕や曹植の洗練された詩に比べれば、かなり無骨かもしれないが、日々数々の強敵と戦いながら歌ったことを考えるとなんだか味があるのだ。

曹操を表した最も有名な許子將の言葉。

「治世の能臣、乱世の奸雄」
"a capable minister in peaceful times and an unscrupulous hero in chaotic times", Xu Shao

「乱世の英雄"great hero in chaotic times"」とは、よく言ったものだ。

長安

前漢の首都として栄華を誇った長安(Chang'an)だったが、後漢王朝に入って、都が洛陽(Luoyang)に移されてからは、’過去の都’として、人々の記憶からも忘れさられていた。ところが、あの悪名高い董卓(Dong Zhuo)による強引な遷都によって、再び、脚光を浴びることになった。

ところで、帝を手中にした董卓が、ためらうことなく都を破壊し、燃やし尽くせたのは、”辺境の将軍”として中央から遠ざけられてきた恨みがあったからだろうか。長い間、西のはずれに位置する涼州に駐屯していた董卓にしてみれば、きらびやかな洛陽に未練があったわけではなく、より近くにあった長安の方がなじみやすかったのかもしれない。

やがて、董卓暗殺後は混乱が続いて、衰退。結局、首都は再び洛陽に戻された。
だが、後の唐の時代に、長安は最盛期を迎えて、当時、世界最大の国際都市として歴史に名を遺した。ちなみに、現在の街・西安(Xi'an)は、当時の場所からは移動している。

個人的にではあるが、長安という街に強くロマンを感じるのは、子供の頃見た「西遊記」「敦煌」や「シルクロード」の影響もあると思う。なんといっても、西は遥かローマ帝国までつながっていたシルクロードの始まる地なのだ。

夕日の似合う街、長安。

天下三分の計

三国時代の基になったとも言える「天下三分の計」は、河北から中原を制圧して強大になった曹操(Cao Cao)に対抗する策として、諸葛亮(Zhuge Liang)が劉備(Liu Bei)に語ったとされる。ただし、正式には、語られた場所の地名から「隆中策」と呼ばれる。

同じく、英語も、「The Longzhong Plan」である。

面白いのが、孫権(Sun Quan)陣営で周瑜(Zhou Yu)が活躍していた頃の基本戦略が「天下二分の計」であり、この作戦を構築したのが、”元海賊”で知られる甘寧(Gan Ning)だったところだ。

昔から、”三すくみ”とも言われるように、三つのものが対峙すると事態が止まってしまうのだろうか?

桃園の誓い

三国志の始まりで有名な「桃園の誓い」は、世が乱れ始めた漢王朝末期、後に蜀を建国する劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)が、乱世の終息を誓って義兄弟になる宴である。(ただし、事実ではないとのこと)

【関連英語】
The Oath of the Peach Garden「桃園の誓い」
Han「漢」
the Yellow Turban rebels「黄巾の乱」
Liu Bei「劉備」
Guan Yu「関羽」
Zhang Fei「張飛」
(そう、中国人名は英語にすると、日本の漢字名からかけ離れてしまうのである!)

この場面は、英語でも多く訳されているのだが、今回は、歴史ゲームの「三國志」英語版のセリフを参考にした。

"Born apart, yet do we three swear to bind ourseleves as brothers, of one heart in all.", Zhang Fei

張飛「別々に生まれた我々だが、兄弟として結束することを誓う。心はひとつに。」

"Born on different days, yet do we pledge our deaths to be together, on the same day!", Guan Yu

関羽「生まれた日は違えども、死する日は同じである。」

"To aid the Han! To save the people! Ye Heavens hear and witness our ferrnt pledge!", Liu Bei

劉備「漢王朝の復興。天下の平定。どうか天よ、我らの固い誓約を見守りたまえ。」

その昔、多くの熱い男たちが生きた時代があった・・・。

白眉

頭脳明晰で、優秀な人のことを「白眉」と呼ぶけれど、その語源とされるのが三国時代に蜀に仕えた馬良(Ma Liang)である。荊州の襄陽では名家として名高い「馬」家には、秀才として知られる五兄弟がいたのだが、その中でも馬良は最も秀でていた。そして、なぜか、彼は若いころから眉毛が真っ白だったという。

"White Brows is the best among the five Ma brothers."
(英語でも、文字通り「白い眉」である)

彼の有能ぶりは、ほぼすべての人材が劉備と共に益州攻略に出発した後も、前線を抱えている荊州の留守を任されていたことでも分かるだろう。さらに、蜀の丞相・諸葛亮とは、義兄弟だったとも言われている。ちなみに、弟の馬謖(Ma Su)は、諸葛亮からも軍人として評価が高かったのだが、魏との街亭の戦いで判断を誤ってしまい敗戦の原因を作ってしまった。

・・・そういえば、自分が小学生だったときに、髪の毛に白髪の多い友人がいたけれど、やっぱり彼は「漢字博士」と呼ばれていた。

伏竜と鳳雛

「伏竜鳳雛(ふくりゅうほうすう)」という言葉がある。

小さな沼の底に潜んでいる龍と卵から孵ったばかりの鳳凰(ほうおう)のひなのことで、意味は、世に出ていない才能のある大人物を表す。ニュアンスとして、大きすぎる龍が社会に背を向けているのに対し、鳳は機会に恵まれず才能を活かしきれない若者みたいな印象を受ける。

由来は、三国時代の蜀に仕えた、当時の最高頭脳と呼ばれた二人につけられていたニックネームである。
伏竜が、諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい)で、蜀の宰相を勤めた。
鳳雛が、龐統士元(ほうとう・しげん)で、蜀の建国前に亡くなってしまった。

【英語名】
Zhuge Liang「諸葛亮」
Pang Tong「龐統」

さて、この2人のニックネームを英語にすると、

The sleeping dragon(伏竜)
The fledgling phoenix(鳳雛)

になるだろう。

「fledg(e)ling」は、雛、ひよっ子、若造、といった意味があり、
「駆け出し中の」という単語にも使われる。似た単語では、
budding(新進気鋭の)があり、
名詞では、
rookie,youngster,cub,greenhorn
や他にも、フランス語が語源の「社交界にデビューしたて」
A dashing debutante
というのもある。

いつかは自分も「わしの駆け出しの頃は・・・」なんて使うのだろうな。

木牛流馬

蜀を支えた諸葛亮孔明は、偉大な政治家や名軍師として名高いが、発明家としても有名だった。
その数々の新しいアイデアは、時代背景と国家事情から生まれたものも多いだろう。なぜなら、強大な国力を誇る魏に対して、小国だった蜀は、創意と工夫で対抗しなければならなかったからだ。

彼の発明で有名なのは、機動性の高いヨロイ「筒袖鎧」、十本の矢を同時に発射する連弩「元戎」、さらに、「饅頭」も彼の発明とされている。ちなみに、日本で「まんじゅう」と言えば、丸くて甘い菓子が一般的だが、ここでは、肉団子を包んだ肉まんに近い。

だが、それ以上に気になる発明品が、「木牛流馬」である。
記録では、北伐のとき、遠い戦場まで食糧輸送に使われた運搬用車両(装置)とされているが、その形や詳細は不明のままなのだ。

まず、「木牛」について。
木製の手押し式一輪車という説が有力であるが、
四隅に足が付いていて転倒防止に役立っていたり、
舌をひねると動かなくなるカラクリがあったとも言われる。

それから、「流馬」。
こちらは、ソリや四輪車ではないかと言われている。
また、「流」の字が使われていることから、水上輸送用という説も捨てがたい。
個人的には、陸上での運搬も可能な水陸両用であってほしいのだが。

そう、偉大な発明は不自由の中から生まれる。

【関連英語】
Zhuge Liang「諸葛亮」
Shu Han「蜀漢」
Wei「魏」
wooden ox and flowing horse「木牛流馬」

呂布と張遼

「史上最強の武将」とも呼ばれた呂布(Lu Bu)は、中国の三国時代初期に活躍した武将なのだが、長い間、武力の高さと同じくらいに、仕えていた主君を裏切る残虐性などでも怖れられていた。(近年では、見直されて人気の高い武将だ)

その強さは圧倒的で、同時代に匹敵する敵がおらず、稀代の名馬「赤兎馬」に乗り始めてからは、その怪物ぶりに拍車がかかった。以下は、それを物語る言葉である。

Lu Bu among men, the Red Hare among horses.
「人中の呂布、馬中の赤兎」
ちなみに、「赤兎」は、その名の通り「赤い野ウサギ」を意味する。

さて、その呂布の部下として活躍していた張遼(Chang Liao)も歴史に名を残す名将で、世界中の三国志ファンにも人気が高い。

呂布を破った曹操の配下となって後、さらに指揮者としての能力を存分に発揮した。また、人柄も悪くなかったようで、虎牢関の戦いで呂布と対等に渡り合った関羽とも親交があったことはよく知られている。

そんな彼の性格を物語るエピソードとして、

呉の孫権が直々に指揮する大軍が攻めてきたとき、日頃仲の悪かった同僚の李典とケンカを止めて協力し合ったこと。また、十万という呉の兵力に800人の部隊を率いて圧倒し、敵兵に囲まれた部下を見つけたら助けに戻って救出したりと、頼りがいのある上司としても名高い。

このように彼が、いつでも「チームプレイ」を考えることができたのは、(反面教師として?)先輩だった呂布の生き方を見てきたことも大きいのではないだろうか?

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